昭和41年9月11日 朝の御理解
入力者・井出一憲
石垣の古賀病院の砥板さん、?高山さんの娘が縁づいておる所なんです。まあお礼に出て参りましてから、昨日あちらの姑お母さんになられるお方がどっか行かれるんです、ほんで田主丸の駅まで送ってくれと言っておられるから、送ってあげようと、所が非常にあそこ道が悪くわっとりますもんね、それに調度あの2メートルぐらい下の堤防に、その単車ごと落ちた。所がですねお母さんはどげな風にして飛び降りたかしらんけども、堤防にチャント腰掛けておった。自分が単車と共にあのもう危ない 下敷きにほんに一歩手前にこうしてころんどった、ほして押さえてちいとこの篇が痛いようにありますけども、かすり傷ひとつせず、神様のおかげで全然??折らずにおかげ頂いてと言うてそのまあおかげをより実感した訳なんですね。それでそのおばさんまでが、あんたが金光様に参るけんでと言うて慶ばれたち、それで今日はあの御無礼しとりましたからと言うて、御造営費ども持ってお礼に出て参りました。えー例えばそう言うような意味で神様のおかげと言うものを、おかげとこの実感すると言うような事は、
お参りをしておればお互いがいつも頂いておる訳なんです。ね、またそう言うような片隅ではなくても自分の心の上に、おかげと言うものを感じさせて貰う。そう言うその生き生きしたおかげと言う感じる、そう言う心にね信心をひとつ分からせて頂こうと言う事になるとおかげになるのです。ほんに信心が分からにゃ信心が分からにゃと言うような、調度対して勉強好きな者が勉強せんならんと、言うのでやはり欠伸が出たり眠気がきたり、言わば勉強に倦怠を感じるように、信心にも倦怠を感じるです。よく言われる事でございますけれども、本当に先生が拝めるようにならなと、ね、先生を拝みたいとこう言うてるです、ね、決してあたくしはその先生が拝まれなさるような先生がそうザラにはござらないとあたしは思う。ね、ですから問題は自分自身が自分自身の心を拝めるようになる、あたしこれ以外にないそこに先生だけではない、自分の周囲の誰でもが拝めれるようになる。あれは相手がいいから拝めるんじゃない、自分の心が拝ませる自分の心がいつも合掌しておるからなんですよ。ね、有り難いとそう言う信心がです、ほならやはりその奇跡的なとか、神様のおかげと言わずにそのなんであろうかと言ったようなおかげを蒙らせて頂く、
あの例えばお礼参りでもさして貰わねばおられん、それこそ御造営費のひとつでもお供えせずにはおられないと言うような、有り難いと言う実感を持ってですね、信心を分からせて頂こうとする事になると、わたくしは信心も楽しゅう又自分自身も自分の周囲に、不平不足ばかり感じておるその心と言うものが段々無くなった、もううちの先生がまちっとどうかあって貰うと皆がおかげ頂くとばってんが、うちの家内がうちの主人がと、もう兎に角その目に余るようにそれが不平不足がこうクローズアップされるように、なんかその不平不足で目の前が真っ暗になるぐらいある。わたくしは思うんですね、わたくし自身神様からもう本当にもう本当にまあ言うならば、うるさいほど又は厳しいまでに色々とお知らせを頂いたり、あーでも言ってんじゃないかこうでも言ってんじゃない、と言うてほんならこっちはできやせん、出来ませんけれども頂けばです、いちいちそれどこじゃないなあーなる程とこうあたくしは思うんです。神戸の穂波さんが信心の稽古をなさっておられるわたくしがです、
ね、あんたどんがうるさいと思うばってん?あたしがもうそう言う前口上を使わずにです、ね、神様がわたくしに下さるようにです、ほらこげせ??いくもんのーと、ほら久富先生ほら五十枝お前どうして気がつかんか、例えばそのわれ教えて頂きよるとですからですね、そう言うような事でもですね、わたくしがこう申しますとそれがなんとはなしに、やかましい先生じゃなーとピーンとこう跳ね返ってくる感じがする。ですからそれでも??あんたどんがうるさいと思うばってんと言うて前口上使うてから言わなならん、ああ言う時にですね本当にそりゃ出けん、出けんけれどもですほんに先生が言なさる言なさる?通りたいと、只私の中まえで言うならほんに自分の??気のつかわん者おらんたい、本当に自分ぐらいの者本当にそして教えて貰いたい教えて貰いたいと言うような願いがあればですね、それを出けんでも成る程成る程と言うて、聞いて跳ね返るような事になしにあたしおかげ頂きよるとじゃなかろうかとこう思う。
ね、ここんとこはチョット今日の話と矛盾した話なんですね。自分例えば自分の心が拝めれるようになる時に、人が拝めれるようになる、ね、ですから例えばわたくしが久富先生にでも親先生にでも例えば家内と言う事、三人の例話を取りましたがわたくしがいつも先生方を拝んでおれると言うだけでも、しかしこれはあー信心の教導も出来らなければ、あたくしがまあだそこまで頂いていないからこそ、例えばあたくし少し高いとこおると、それが目につくのである。ね、ここでもそこんとこを??先生を喧しいお父さんだなーと言う風に言わずにです、本当に教えて頂いてるんだと、よくよく考えてみるとあたしと家内なんかお父さんが入退院すりゃあたし本当に立派なお広前の奥様で、言わば内外共に出来るあたしが言う通りにすりゃ、そげな厳しい事じゃない難しい事じゃない、じゅうななおうと言う迷うと言う願いなんだ、喧しゅう言われれば言われるだけ、本当にそうじゃない自分の気持ちはこげんも改まるるおなごじゃからとまず、
自分を知らなきゃいけん、そして教えて貰いたいと言う願いにやはりいつも意欲を燃やしておかなきゃ駄目、ほんなこと??教えて頂いたと言うようにです、自分の思いを持って行くならば有難いとこう思う。ね、そう言う有り方と同時に今日あたくしが申しますように、わたくしが皆さんの日にあたくしが目につくと言う時にあたくし自身も、ね、いよいよ拝まれる先生そう言うわたくしが我と和賀心に拝まれるわたくしにならせて頂いて、そう言う事も眼につかん位なわたくしに、ならなきゃならんと言う願いの信心に精進して行かねばならんと言う事は勿論である。ね、例えばそう言う事がですたまに皆さんがおかげを実感する事があるだろう、おかげを頂いたそう言う心がです、信心の意欲を燃やさせて貰うと、ね、本当に神様の心に叶うわたくしにならせて頂こうと、言う事にならせて貰う時です信心が進むんじゃないだろうかと思うんです。絶対間違いないと思うけれども神様いかんと仰るならば、わたしゃしませんからと言う事ハッキリ言えれる信心を日頃頂とかにゃいけんと、
わたしゃその方に申しました。よい機会じゃないのその方の本店の方の言わば保証なんです。だから支店の方が最近非常にもう兎に角本店の方の??出来るなら、支店の方が段々よくなって行くからと最近言われるぐらいに支店の方がおかげ頂きよるです。もう本店がいくらいるちいくらきちっとお願いなさりよりますと、それだけの資金が支店の方に集まるんです。と言うようにおかげを頂いておるんです。けれども?ほんなら金光様のご信心頂いてからこげなおかげ頂きよると言う事はまだ言いきらんのる。ただ自分の心の中で有難いなーと思うとるだけ、ね、だから本店の例えそれが社長であろうがです、あたしゃ信心を中心にしてからこの店をお預かりしてるんだと、又過去においても信心を中心にしてこう言うおかげを頂いて来てるんだと、と言う事はです、こう言う機会にそれこそ言うておくとに、一番よい時期じゃないかと、そして神様が所謂神様のおかげを頂きさえすれば、そりゃ例えばそこに火の中に入るような事があっても、相手にしない?と言うだけの度胸がなからなければならんと、
同時にです、それだけ自分と言う者の金光様のご信心を頂いておると言う事をです、ハッキリ言いふらす訳じゃない、自分の知っている限りの人達に認識して貰っておくと言う事はです、だけの?信心をです頂いておかなければ行けない。難は神の??神様まかせで生活させて頂きよる、例えば先ほどの高柴さんのお話しじゃないけれども、ね、所謂ご神意伺わずに判を押したばっかりが、家??家財道具まで人手に渡さなければならないと言ったような結果になった、とあたしが話しもさせて頂いた。現在ああしておかげ頂いておられるけども、こう言う事であった、ね、ですからあたくしはそのそれをひっかっかるとか、ひっかっからんとか言うのじゃなくてです、それだけ信心をです自分の生活全体にです、打ち出して行かなければいけない、打ち出せるだけの神様を頂かなければダメ、断りにくかけんで神様を出しに使う、神様にお伺いしたらいかんち言いなさるけんで、ほんのそんな時だけに使うような事ではそう言う人もあるです。
良しにつけ悪につけご神意を頂いて行く、ご神意のままに、それを例えばうなら今申しますように、それが火の中に飛び込むような事になるからわからないけれどです、神様良いと仰るからやると言うだけの神意がなからなければ行けない。また本当に簡単なと言うような事であっても、チョット待って下さい、ああたがご承知のようにあたしはもう椛目任せだから、ね、言うなら神様任せだから、ご信用頂いてからの事にしようと言えれるだけの、言わば自分の周囲と言うものを固めておかなければいけん。わたしゃそう思うですね。先日でしたこれは堤さんがタッチしておられた事でしたけれども、久富繁雄さんとこの息子の嫁御を産まれかかって?それが断られた理由がです、もう一家中が熱心に金光様の信心をしなさるけんでと言うのが断る理由であった、丸々教のように家も屋敷もあげての世話にと誤解してあったんでしょうね向こうが、けれどもまあそんならこっちからでも断らせて頂きたい、そう言う気持ちにならないかんですね、信心しとるばっかりに折角の嫁御を貰いそこのうたそんな事がありました。所がですつい最近またそのこりゃもうむこからもろてくれと言うように、向こうの方から言われとった。
それで中に仲人立ててから、色々向こうも??その事が理由でまた断ってきた。皆さんどう思われますか。皆さんの場合そうであったら、なるほど息子の嫁御貰わんならん事あせりが出る位に,もういっちょもらわなもらわなと言いよる。次々とそれが断られる理由がです、信心をしとおんなさるけん断わられると言うような場合です、他にこうやって信心しよると言う事はふせとこう、もうかくしとこう、そう言うような気になられた。信心しとるばっかりにその嫁御も貰われんと言う風にその寂しくおもう。ほんにあれが順調に貰われんで良かったと、いやそう言う事も主流?であるとするならばです、もう本当にこちらの方からでもお断わりしたいと、言うような物がなからなければね、あたしゃ駄目?その点あたくしはその信心は打ち出して行かれておる、久富さんの生き方はあたくしは見上げたもんだと思うですね。それこそ信心しておんなさるなら間違いはなかろう、しかも一家中をあげてならば、
いよいよ間違いのないお家であろう、どうぞもろうて貰うならそげん所を、貰うて貰いたいと言うようなです、親御さんである本人であるといった所から、頂ける時が本当なおかげだとあたしは思うですね。まあどちらにいたしましても今日あたしが皆さんに、申し上げたいのはです、 ?金光様のご信心を頂いておる、椛目のおかげを頂いておる、ね、と言う事がです誰かれに宣伝して貰わじゃなくても、自分の周囲ぐらいにだけはです、もうあすこは何て言うても金光様金光様じゃから、もう一にも金光様ニにも金光様だから、ね、と言う風に見とめて貰えるだけの信心え頂いておきたい、又それを現して行かねばならない。ね、借金でもこう言う時断りよかけんでもう貯めるだけの神様ではなくてです、それだけのものをまああたくしは、まあ言うもしまたそれを成して行けれるだけのです、神様を頂いておきたいもんです御互い、ね、例えばこれ商売でもそうです。信心しよんなさるけんであそこから買おごつなかと、
言う人ならばもうむしろこちらから御断りしたいと言うくらいなものがです、あって始めて本当なおかげを頂けるのじゃないでしょうかね。信心しとると言う事をひたかくしにかくしておらねばならない、ね、昔のそれこそキリシタンじゃないけれど、ね、場合が違う金光様のご信心を頂いとります、椛目にご縁頂いとりますと言う事をです、堂々とあたくしは言えまた認識して貰えれるだけの信心を頂きたいと思いますね。どうぞ。